2009年11月22日日曜日

「日商簿記1級」合格までの軌跡~その4~

2008年6月検定に向けて、勉強を再開したのは年明けからでした。

このときの正月は嫁さんの実家で過ごしたのですが、昼間は近くのデニーズで過去問を解きました。

今度の勉強法は、①TACテキストの復習(全ての例題を解き直す)、②過去問題集、③TAC・ネットスクール等の直前予想や「本試験レベル問題集」

あくまで基本問題はテキストの例題のみで、後は②③のような本試験に近い問題ばかりを解きました。
(今回も模試は受けませんでした。)

前回の試験が62点だったので、今回は確実に受かるだろう!と自信満々でした。

試験の一週間前に嫁さんに「これで落ちたら奇跡だ。」なんて自惚れたことを言ったのですが、嫁さんは「そんなに自信持ちすぎないほうが・・・。」と少し不安な様子でした。

そして、その不安が的中しました。

2度めの受験は明治学院大学でした。今度は腕時計を忘れず準備万端でした。

6月の試験なので、「これで合格すれば7月から診断士の勉強ができる」なんて思いながら試験を受けました。

しかし、この日の試験は私の自信を打ち砕くほど難しかった。

商簿・会計が特に難しかったのですが、原価計算はできた自信がありました。

試験終了後は、昼食のラーメン(池袋の一風堂)を食べて、15時に解答速報会に出席するため池袋のTACに行きました。

解答速報会は15時からスタートせずに講師が若干遅れて現れました。

講師の第一声はたしかこんなだったと思います。

「遅くなってすみませんでした。今回の試験は原価計算が相当難しく、TACの講師との確認打ち合わせが非常に長引いてしまったので遅れてしまいました。今回の原価計算は一見簡単に見えますが、ひっかけ問題です。他の先生でも間違った人が多かったです。ちなみに私は解けました。私にとっては簡単でした。」

そのことを聞いた直後に配られた解答を見て、

「俺もひっかかってた・・・・。終わった・・・。」

と不合格を確信しました。

それでも8月に送られてきたハガキに記載された得点は63点で、壊滅状態ではありませんでした。

しかし、この不合格で診断士の勉強開始は11月に延びてしまいましたし、診断士の通信教育を既に申し込んでいたので、次の1級が受かっても落ちても最後の挑戦になりました。

~続く~

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